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中西 繁 アート・トーク
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画家 中西 繁が送るアートなトーク
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「国連本部展」 審査通らず。

2012/01/31 18:54
本日、藍工房からのメールによりますと、

1月27日に国連から返事があり、
申請していた展覧会は
審査の上、「NO」という回答でした。

12月に、質問に対する返答をしたのですが、
意外と今度は、
速やかにダメという結論が通知されてきました。

とても残念なのですが、仕方ありません。
国連本部ロビーでの展示としては
主旨と実際の展示がぴったり
来ない、との判断のようです。
障害者がどのように障害を克服しながら
アートを作っていったかの過程が
提出の作品からはわからないということでしょうか?

いずれにしろ、受け入れるかどうかは
国連本部事務局ですから、、、。
この間、藍工房「委員会」の皆さんが
大変な時間と労力をかけて申請してきたのですが、
かないませんでした。
各地で応援をいただき、実現の時は
ニューヨークツアーもと、考えていただいて来た皆さんには
期待に応えられず、
本当に、
申し訳ありません。
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追悼 テオ・アンゲロプロス その4

2012/01/31 07:19
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今朝の朝日新聞に池澤夏樹さんが
感動的な追悼文を書いていました。
池澤さんも最初に
「旅芸人の記録」に出会ったのですね。
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3月に渋谷ユーロスペースで
テオ・アンゲロプロス連続上映が
企画されているそうです。
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追悼 テオ・アンゲロプロス その3

2012/01/30 04:46
続きです。
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1日の容量を超えてしまいました。
明日 その4を続けます。
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追悼 テオ・アンゲロプロス 2

2012/01/30 04:42
テオの映画は日本ではほとんど知られていない。
カンヌのパルムドール賞を2回受賞もし、
「ギリシャの黒澤明」と呼んでいながら、
当の日本では無名に近い、偉大な人物。

作品もとても長く、難解なことは確か。
特に、初期の作品は当時の軍事政権の
検閲を通すために全く難解なこと極まりない。
誰も、何を描いているか、
わからないから通ってしまった。

貫かれているのは
ギリシャ民族の悲劇と希望であり
平和への希求。

それでも、7年前に日本で
テオの映画祭が行われた。
東京フォーラムを会場に
連続全作品上映会が開かれた。

今後、追悼の放映を
TVで計画されるに違いない。
その時は、ぜひご覧になってほしい。

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すぐ その3に続きます。
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追悼 テオ・アンゲロプロス

2012/01/29 08:38
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アテネの街角で、バイクにあてられ死んでしまうとは!
なんていうことでしょう。
偉大な人が死んでしまった。
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僕にとって、「旅芸人の記録」が初めての出会いだった。
それから、ずっと月日がたって
「ユリシーズの瞳」がやってきた。
テサロニキからサラエボへ至る長い長い旅。
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その映像から僕はサラエボに行く決意を固めた。

そしてまた、年月がたって
「永遠と1日」がやってきた。
テサロニキからアルバニアへ連なる物語。
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テオ・アンゲロプロスが住むテサロニキとは
どんな街だろう?

僕は、アテネからエーゲ海を旅したのち、
テサロニキを訪ねてみた。

その後のパリ・モンマルトル生活の2年。
その最後に「エレニの旅」がパリにやってきた。
パリの14区。
ミッテラン元大統領の息子が経営する映画館。
そうしたところでの上映だった。
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英語+フランス語字幕はやはり全部は解らなかった。
帰国して、
神戸の小住宅地の映画館で上映しているのを知って
再び観に行った。

「エレニの旅」はテオが、自身の母の人生を追った
3部作の第1作。
2つの古い街を造り、
それを水没させて撮影するという
壮大なセットの映画だった。
水面に映る限りなく美しい映像。

2部、3部は未完のままとなってしまった。

テオ・アンゲロプロスは
黒澤明を信奉していた。
フランス映画学校で勉強。
卒業制作でその頃から自覚した
カメラの長回しで撮影していた。
教授がそんなにカメラを回すものじゃない、と批判。
テオは教授と対立、
抵抗して卒業を前に中退してしまう。

そうして、「旅芸人の記録」「アレキサンダー大王」
「こうのとりたちすさんで」「シテール島への船出」
などなど・・・
それぞれが長い長いワンカットの連続の3時間半の映画。
息をひそめ、息を止めて観るような
緊迫の映像。

これからは、わずか10何作かの作品を
繰り返し観るしかない。


YASUKOさんの印象は大事なことを言っていますね。
モノクロのようで実際はカラーでした。
微妙な色があるのですが、カラーは極限まで抑えられて。

「心の中に閉じ込めた悲しみのような」

しばし、わからない世界が続くのですが
それをわかりたくて凝視する時間。
そうしたことに引きこまれていく感覚。
芸術とは、確かに
すぐには解らなくていいのかもしれません。

背景にしっかり持っていて、
探らないと見えて来ない。
そういうものかも知れません。

テオの訃報の記事の下に
アカデミー賞候補の記事がありました。
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これは次回、項目を改めて書きます。
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巴里散歩 4/ KAWAMATA TADASHI 展

2012/01/28 06:16
サンミッシェルでスケッチしながら、
カルチェラタンをサン・シュルピス教会の方に向かって歩いていたら、
左手の門の中に変わった屋根がかかっているのに気がつきました。
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一度は通り過ぎたのですが気になって戻ってみました。
少し、恐る恐る入ってみましたらパティオ全体に
机や、椅子などの木の廃材が
日よけの様に吊るされているのです。

なんか、とてもアートだなあとよくよく正面の建物を見ましたら
ギャラリーのようで、中にもインスタレーションが続いている様でした。
よく見たら川俣正さんのエキシビジョンでした。
さすが、素晴らしい!
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ギャラリー1階のスペースの天井が中庭と同じように
天井に木の廃材がワイヤーで吊るされています。
照明がその上に仕組まれているのです。
室中の写真は、黒人のガードマンが2人
にらんでいたので、
もちろん撮影禁止でしょうから止めておきました。

地下のスペースにインスタレーションのプランと
関連した廃材入手の写真が展示されていました。


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なかなかいいスペースなので、
ギャラリーの事務所の方にお会いして、
「貸しはしないのか」と聞きましたら、
すべて企画展しかしないギャラリーとのことでした。

このあたりからサンジェルマン・デ・プレにかけては
ギャラリー街でもあります。
最近のギャラリーを少し覗いて歩きました。
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帰国して25日。
ギリシャの映画監督テオ・アンゲロプロスさんが
交通事故で亡くなった報道がありました。
これは次回触れます。

これから息子の結婚式に向かいます。
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巴里散歩 3

2012/01/27 07:58
巴里散歩 3 モンマルトル
最初に向かったのが2年間住んでいたモンマルトル。
最後の日にもう一度スケッチに行きました。
今回の最大の成果は、今年の東光展出品作の
モチーフが決まったことです。
「雨のコーランクール」。
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何でも、ダイレクトに結論言ってしまうのは
本当は面白くもないのですが・・・(笑)。
モンマルトルの北側をぐるっと周回するコーランクール通り。
毎朝の散歩道でした。
走る方向と逆向きの同様の構図は
前にも気がついては居ました。
しかし、一ブロック違ったところを
小品で描いたことがあっただけでした。
今回、スケッチしながら、
10数枚の写真を撮りまして
構成を決めました。

帰国した翌朝
10号のキャンパスに落とし込みました。
これで、制作スタートの決意が固まり、
次の日、
130号のパネルを注文しに行ったのです。
制作に3週間かかるとのこと。
「段取り」はいいほう、と自負している自分ですが、
こんなもんで、
キャンバス発注でさえ、
描くものが決まってから、
発注となるものなんです。

モンマルトルは、
やはりパリ一番の懐かしい場所です。

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アベス通りでは、毎年恒例のブルターニュ祭りをやっていました。
ブルターニュから村の伝統的な楽団がやってきて、パレードをして、
アベス広場では海の幸を中心として
ブルターニュの特産品を販売・宣伝するのです。
終わるとアベス中でブルターニュから来た人たちは
あちこちで酒宴、演奏。
観ていてほのぼのしい光景です。
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一昨年パン職人コンクールでグランプリを獲得して
大統領府に1年間パンを供給した「グルニエ・ア・パン」。
(以前に8号の絵にしています)
アベス通りの店は何故か開いていませんで、
コーランクール通りに新しい支店が出来ていました。
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