中西 繁 アート・トーク

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zoom RSS 大江健三郎と内子町

<<   作成日時 : 2010/08/20 07:32   >>

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この7月、松山から高知に移動する日。
入山ご夫妻が内子町を案内してくださいました。松山から車で40分ほど。
まずは内子座を見学。木造2階建ての古い芝居小屋です。

小屋の前は意外や狭い道で、本当に住宅街の中にある感じでした。

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そこから、車で10分ぐらいのところに屋根のある木造の橋を案内していただきました。
内子町に2つ残っている中の一つ。
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「マジソン郡の橋」という映画にもなった小説がありました。木造の屋根付き橋を撮影に来たカメラマンと恋に落ちる女性の物語。彼が死んで、大事にとってあった遺品を開けるところから物語は始まりますが、描写のディテールが素晴らしく小説なのに実際にあったドキュメントのように引き込まれていく文体でした。
日本にもこうした屋根つきの木の橋があったんですね。

そこから10分ぐらい、大江健三郎さんの生家に連れて行っていただきました。

ちょうど僕は新作「水死」を読んでいましたのでちょうどよかったのです。なぜなら「水死」はまさに、生家に健三郎が逗留し「父の死」の真相を探る、母の遺品の「赤革のトランク」の中身を開けると言うところから始まるからなのです。敗戦が確定した直後の嵐の晩に健三郎の父は舟を出して川を下るが、転覆して水死してしまう。そんな晩に舟を出すという実際の動気が何だったのかを探りたい、それを小説化したいと言うのが健三郎の長い間の課題だったのです。
まさにその舞台の場所を確かめられるのですから。

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入山さんは気軽に隣にあるお店で飲み物買って、大江健三郎さんのことを訪ねていました。「健三郎さんはめったに来ませんね」という話。父上の代は和紙の原料であるコウゾの問屋で大きな商いをされていましたとのことでした。
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町並みです。大瀬という町で、町村合併で現在内子町になっているとか。
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小説「水死」では「森の家」と言われている家は森深い小さな町ではありますがイメージよりは街道筋の家の感じでした。
何度かでてくる5行の言葉。
ノーベル賞を受賞したとき、町が記念碑を建ててくれるということになった時、石碑に刻んでもらった「ことば」だと言う。川沿いのところにあったが、道路計画で移動しなければならなくなり、自分で希望して台座から外し家の裏庭に石だけ移動してもらった、とあるものですが、、。
この5行の最初の2行は母のことば、そのあとの3行は自分のことば、ということです。
これを繰り返し読んだ時、僕はさすがの文学者だなあと、思ったのです。
普通、石碑に彫るようなフレーズではないですよね。
しかし、「ことば」が出来てくる全体を我々が探索した時
初めて物語の全体が浮かんでくると言う「仕掛け」がしてあるのです。

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詳しくは「水死」を読むしかないのですが、これは難解な小説で、あまりお勧めはしません。(笑)
と言ってはいけませんね、難解ですが、ぜひ読んでください。
大江健三郎の小説をそれほど読んでいる訳でもないのですが、何度も小説は「これが最後」と言ってきました。しかしまた書き出します。命との間合いを考えながら「私小説」の中に言いたいことを言っておきたいのでしょうね。
近松門左衛門ではないですが、虚と実の間。事実の流れと創作の部分とを見分けたいと僕は思ってしまい、それに捕らわれて難解になって、なんか胃がへんなる、そんな感じです。
井上ひさしさんが読後感で、あかりさんとの和解が課題ですね、と手紙が来たとのこと。このあかりさんを思わず「馬鹿だ!」と怒った時のサイードとの交流の深さ、深刻な事態に怒った本人の感情。赤裸々なご本人の感情が描かれていて痛ましいです。・・・・母への思い、父への思い。子が親を思う気持ちの強さ、強靭さに感動します。

ちょうど1週間後の7月28日付けの日経新聞に内子町のことが出ていましたので
その記事も掲載します。
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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
コメントじゃなくてごめんなさい。
先生の展覧会のご案内ですが、チャコのアートギャラリーに勝手ながら資料ペーストさせていただきました。御了承下さい。奈良展の準備はもうOKですか?大変楽しみにしております。
チャコ
2010/08/20 12:45
内子懐かしい町並みです。街道筋には木蝋で財を成した豪商の邸宅や薬問屋のお店などが建ち並び内子座の館内は昔にタイムスリップしたような錯覚がありました。明日21日22日と第14回目の内子座文楽が開催されるようで内子座も大勢の文楽ファンで賑わうことでしょうね。大江健三郎の生家へは伺えなくて残念です。以前からブログに「水死」に触れておられましたので読もうと思ったものの文をそのまま追っても理解出来ずこれはどういうことなのかとその都度考えながら読まないといけないような気がして少し億劫になりました、5行の言葉を読み解けば全体がわかる?5行に全てが凝縮されてるのでしょうか。家族間のそれぞれを想う想いの強さが赤裸々に綴られているのなら今の社会で欠落している最大のテーマですから難解でも多くの方に読んで欲しいですね。障害を持って生を受けたご長男光さん確か音楽の才能に溢れている方ですがその光さんの誕生と広島の原爆被曝地の訪問でその後の文学も人生も変わったとあります。その体験から「人間を励まし勇気付ける文学を目指され弱者との共生、反核非核の精神」へと向かわれ故井上ひさしさんらとの交流にも繋がったのでしょうか、先生にもあい通じるものを感じます
FUJI
2010/08/21 02:49
中西先生
内子町のブログ公開を待っておりました。「四国こんぴら歌舞伎大芝居」が公演されている金丸座は行ったことがあるのですが、内子座は行ったことがないので知りたかったのです。内部は同じようですが、内子座は歌舞伎より文楽が公演されることが多いようですね。内子座は1916年に大正天皇の即位を祝い、内子町の有志によって建設され、地元のお金持ち18人が歌舞伎を楽しむ為に造られ、1985年に復原されたようですね。一方、金丸座(国の重要文化財の指定を受け名称が旧金毘羅大芝居)は1835年に建てられ、現存する日本最古の芝居小屋で、江戸時代中頃から金毘羅信仰が全国的に高まり年3回の「市立ち」の度に仮設小屋で歌舞伎の興行が行なわれ、門前町の形態が整ってくるにつれて常小屋の必要性と設置を望む庶民の声を反映し、富籤の開札場を兼ねた定小屋として建てられました。当時も江戸、大坂などの千両役者が舞台を踏み、全国にも知られた芝居小屋であったようなので現在でも歌舞伎公演が多く、そこに内子座との違いがあるようですね。
大江健三郎さんの生家や街並み、日本版「マジソン郡の橋」は四国の長閑さを感じ行ってみたいですが、国語力のない私は「水死」を残念ながら読めそうにありません。ごめんなさい。
amie
2010/08/22 16:54

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